「国旗・海軍旗」祝日には国旗を掲揚しましょう。国旗に敬意を払いましょう。 あっと解消 本店
国歌の豆知識
国の定める現行版「国歌・君が代」に2番はありませんが、
昔の「君が代」は以下の歌詞でした。
1 君が代は ちよにやちよに さざれいしの 巌となりて こけのむすまで
うごきなく 常磐かきはに かぎりもあらじ
2 きみがよは 千尋の底の さざれいしの 鵜のいる磯と あらはるるまで
かぎりなき みよの栄を ほぎたてまつる
この歌詞は、明治時代の教科書にも掲載されていました。
曲調も今のものとは一線を画していたようです。
今の曲調にあわせて1番2番の前の部分だけを歌っていた人たちもいたそうです。
また、2番の歌詞はこのほかにもいろいろな説があるようです。
国旗の由来
「日の丸」は,江戸時代以前にも使用されていたという記録が残っています。
江戸時代,幕府の船印として使用されるようになりました。幕末になり日米和親条約に調印し(1854年3月)開国,諸外国との交流が始まったことから,外国の船舶と識別するための標識が必要となり,幕府は安政元年(嘉永7年,1854年)の7月に日の丸の幟を日本惣船印に定め,また,日米修好通商条約に調印した翌年の安政6年(1859年)には日の丸の旗を御国惣印と定められました。
万延元年(安政7年,1860年),日米修好通商条約の批准書交換のために渡米した使節団の一行が日の丸と星条旗が掲げられたニューヨークのブロードウェイを進む様子が現地の絵入り新聞で紹介されています。以上のことから,遅くとも江戸時代末期には,日の丸が日本の国旗として内外で認知されていたものと考えられています。
明治3年(1870年)に商船規則(太政官布告第57号)により,日の丸は日本船舶に掲げるべき国旗として定められた。
|
||||||
|
||||||
|
国歌の由来と歴史
「君が代」は,延喜5年(905年)に編纂された「古今和歌集」(賀の巻)に,「わが君はちよにやちよにさざれ石の巌となりて苔のむすまで」(詠み人知らず)
として収載されていた。これが,文献に現れる最初であると言われている。この歌は,約100年後(11世紀初期)に成立した藤原公任撰の「和漢朗詠集」(祝の部)にも
収められている。
その後,平安末期頃から,初句を「君が代は」という形で流布するようになり(注),めでたい場合の舞い,謡曲などに取り入れられ,長い間民衆の幅広い支持を受けてきたと言われている。
明治時代になり,日本にも国歌が必要と考えた鹿児島(薩摩)藩の大山巌らは,その歌詞として「君が代」の古歌を選定したと言われている。当初の「君が代」(フェントン作曲)は,その後,曲の改訂が上申され,明治13年(1880年)に宮内省雅楽課の林広守らによって現行の「君が代」の楽譜が完成されました。
その後,明治26年(1893年)の文部省告示「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」において,祝日大祭日の儀式で歌うこととされた。
(注) 鎌倉時代の歌人顕昭(1209年頃没)の古今和歌集の注釈書である「古今集註」に,「この歌つねには,きみがよはちよにやちよにといへり」とある。また,鎌倉時代の歌人慈円(1225年没)が古今和歌集の歌を題として詠んだ際にも「君が代はちよにやち世にさざれ石のいはほと成りて苔のむすまで」とある。この歌が広く謡曲などに取り入れられていることについては,柿村重松著「和漢朗詠集考証」などを参照。
|
||||
|
||||
|